青年海外協力隊のリアルを描いた映画「クロスロード」のテーマです。
(looking for loveのCROSS ROADではありません。わかる人にしかわかりませんねw)
青年海外協力隊のOBが監督をやっている映画みたいです。
これはとても難しい問いですね。
私にはわかりません。
ある意味ではそうだと思いますし、ある意味では違うと思います。
こんなことを言うと怒られるかもしれないし、引かれるかもしれませんが、
私が今回青年海外協力隊に応募した明確な理由はありません。
端的に言ってしまえば、ノリと勢いです。
同期の仲間たちが熱い思いを口にする中で大変恥ずかしい話ではありますが、、、
トランジットでしか降り立ったことない、まったく知らない国の、まったく知らない学校の、まったく知らない生徒に対して、
数学を用いてどうしたいとか。
豊かにしたいとか。
国を変えたいとか。
貧困から救いたいとか。
まったくイメージできません。
日本にいるときですらそうです。
仕事がすごく好きで、指導に対してはプライドを持っていますし、誰よりもうまくなりたいとは常に思っています。
彼らの人生を預かっていると真剣に思っています。
でも、客商売だから、お客様の要望に+10%くらいで応えるだけなのかなって。
個人的に、
東大に何人入れたいとか、毎年インターハイに連れて行きたいとか、自分の考えをゴリ押ししたいというような思いはありません。
ただ、どーせやるなら、学びの過程で数学やテニスを
好きになってもらいたい。
楽しんでもらいたい。
できるようになってもらいたい。
社会で生きるためのヒントを見つけてほしい。
くらいしか思っていません。
もちろん生徒が行きたいと本気で望んだ場合、それを実現できるだけの指導力は常に持っておかねばと思っています。
無理矢理にでもに指導したいと思わないというのと、指導できないというのでは大きく違いますからね。
だから自分の力量は休日を使ってでも、日進月歩・生涯学習の精神で向上させていく所存です。
ちょっと話を変えまして、自分はいままで海外にまったく興味がありませんでした。
国内ですら全部行ったことないのに海外へ行く意味は?
日本語すらまともに話せないのに英語を学ぶ意味は?
話せないし、危ないし、汚いし、おいしくないし、時間とお金もかかるし、海外へ行く理由ある?
イタリアンや中華って言ったって、日本で食う方がうまいでしょ。
と考えていました。
偏見ばかりですみません。
だから大学のとき散々時間はあったのに1回も行きませんでした。
学科の卒業旅行は箱根ですw
海外へ初めて行ったのは2016年12月。
たった2年半前ですね。
オーストラリアへ行きました。
いとこがワーホリで行ったから。
いとこに会いに、いとこと行くという身内旅行w
そこでベタだけど日本にはない広大な土地を見て、異文化を肌で感じて、住むとかではなく旅行で行くぶんには、ちょっとおもしろいなと思いました。
その瞬間自分と世界の距離が近くなりました。
それから、お休みを利用して、タイ、セブ、パリ、ミュンヘン、ローマ、バチカン、バルセロナ、セブ(短期留学)と行かせていただきました。
海外の魅力にどっぷりはまっています。
しかし、できることなら、発展途上国には行きたくありませんw
危ないのも、汚いのも、虫も、お湯が出ないのもやだ。
だってcity boyだもんw
そんな自分がなぜ青年海外協力隊に参加するのか。
それは完全に生徒に感化されたからです。
初任校でも2校目の現任校でも弱冠15-18歳の子どもたちが、
英語を学習したい。留学したい。と当たり前に言う時代になったんだなって。
自分の時代はそんなこと考えられなかった。
たった10年前なのに、10年でこうも変わるかって。
大人がAIだなんだって勝手に騒いでいるけど、今の子たちの方がよっぽど人生について真剣に考えているなって思います。
一方、運良く現役で大学に入れて、なんとか4年間で大学卒業して、たまたま教員採用も一発で通って、幼稚園のときから学校しか知らない自分。
悪いとは思わないし、自分が歩んできた道に誇りを持っていますが、
なんてありきたりで、つまんなくて、しょうもない人生なんだろう。って考えさせられました。
今後更にグローバルが進むというより、表現としてはグローバルが完成される世界の方が適しているかもしれませんが、
そんな世界で自分は生徒に何を教えられるんだろう。
と考え始めたことが、応募のきっかけです。
しかし、だからと言って、(生徒や保護者、同僚がどう思っているかは知りませんが)今の職が自分的には天職です。
手放すつもりはありません。
さらに、生活もしなければならないので、休職もできません。
そんなときに出会ったのが、現職のままで参加できる青年海外協力隊です。
だから正直申し上げますと、パプアニューギニアでなくても、発展途上国でなくても良いのです。
たまたまです。
たまたま、希望になんとなく合うなーと思う要請がそこにあったから。
みんなみたく、ここの地域で! この職種で! この案件で! みたいなのはありません。
でも、これを都合よく勝手に縁と感じています。
まだ何が起こるか想像すらできませんが、ワクワクしている自分がいます。
行った後の自分に興味があります。
自分にどういう変化が起こるのか。
はい、そこ、ナルシストって言わないw
それが今回応募を決めたすべてです。
話を戻しまして、今回のクロスロードの問いに対する自分の意見は。
ボランティアは・・・偽善です。
人のために力になることは嬉しいことです。
人が喜んでるのをみるこは嬉しいことです。
けどそれはチームビルディングの導入じゃないけど、私にとってそれはあくまで自分基準です。
偽善でなければボランティアの行動をして終わり。で満足できるかもしれませんが、
私は自分の行動により、どのような変化が生まれ、どのような結果が生じるかがどうしても気になります。
映画の言葉を借りると、崖の上にいる人じゃないと、崖から落ちそうな人を助けられないんじゃないかなって。
その時点でヒエラルキーが存在していますよね。
本当の意味での対等な関係ってあり得ないんじゃないかなって。
自分がいま生きることにいっぱいいっぱいだったら、ボランティアなんて言ってられないんじゃないかなって。
終わりに近づいていますが、前提として確認すると、「ボランティアはそれ自体は良いことである」という命題には誰もが同意すると思います。
もちろん私もそう思います。
だから、ここまでだらだら書いてきたことが台無しになりますが、
偽善とかそんな難しいこと考えないで、やれるときにやれる人がやればいんじゃん? ってw
もちろん嫌々やっているような態度や言動等は被益者に失礼ですので論外としてください。
学校現場で、地域清掃等のボランティアを授業で生徒に強要している時点でボランティアではないのではないか という問いがたまにあります。
それに対し東京都は、理不尽かもしれないが、
強制だろうがなんだろうが、とりあえずやらせてみて、そこでやりがいや達成感を感じ、継続するようになれば立派なボランティアじゃないか。
との回答を出しています。
着地点がわからなくなっていますが、とりあえず先に言いたいことは、PNGのみなさんごめんなさい。
もちろん全力で活動するつもりですし、そのために今日も一生懸命勉強しています。
でも私が、青年海外協力隊を選んだ理由は、
自己研鑽と、経験したすべてを今後出会う生徒や、海外ボランティアを考えている教え子へ還元するためです。
だから、私の場合は偽善ボランティアです。
でも自分のなかのベストな偽善で、彼らが望むことを一つでも多く叶え、達成していきたいです。
ひとつでも多くの笑顔が生まれ、ひとつでも多くのハッピーが生まれますように!!
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2019年5月12日日曜日
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